ココログ。

22年間の経験・想いをつらつら出すブログ。たまにいいこと書くかも。

勝手さと醜さと。~吃音話者と向き合う時

吃音って言語障がいがぼくにはあります。


言葉が詰まったり早くなったりで、聞き取りづらいことも多々あります。


そういう人なんだって知っておいてくれるだけでいいので、よろしくお願いします。





初対面の人と話すときに、こんな言い方をして自分を知ってもらおうとする。

そんな人だって認識してもらえるだけでも、コミュニケーションのしやすさが変わるって個人的には思うから。





障がいとかでいじめられてる子どもたちに、学校だけが世界じゃないって、旅を通じて知ってもらいたいんです。



「将来やりたいこと」って聞かれたときに、最近よくこんなことを言っている。


自分のいじめられた経験とかを活かして、吃音とかの障がいのある子どもたちに向き合うことをしたいんです、って。


ぼく個人の意見なのだけど、
吃音とかの障がいって、ぱっと見では見えにくい。しゃべってみて初めてわかるし、その程度の差も大きい。

だから、そのぶん周りの人に誤解されやすい面もある、とぼくは思う。


今もそうなのだけど、お笑い番組とか見てると、滑舌の悪い人・上手にしゃべれない人をいじることで笑いが生み出されるシーンが、ぼくが小学生中学生の時は多かった。


そうなると、日常生活のコミュニケーションでも、それを適用してしまう人も中にはいた。というか、そんな空気もあったと思う(そう感じたとき、ああお笑い番組の力ってすごいのねって思う時もあった)。


吃音の人が言葉に詰まったり早くなったりしたとき、「滑舌悪い芸人」みたいな感じの扱われ方をされて笑われる、みたいなこともしょっちゅうあった。少なくともその時はそう感じた。


それで笑って受け流すこともできる人もいたと思う。けどぼくはできなかった。その自分をダメ人間やと思い込んで、下に下に見てしまって、自分の存在価値とかをこれでもかっていうくらい心の中で否定するときもあった。



今でも、たまにそんな自分が顔を出す。





なにが言いたいかというと。






ぼくは未だに、吃音の人と会話をするのが怖い。


無意識に避けてしまう。

 

 

 

 

そこに自分が見えてしまうから。

吃音をもった自分に価値がないって思いこんで、自分の心を必要以上に傷つけて、悲しくてつらかった時の自分が目の前にいるような気がしてならないから。

その自分を見るのがとてつもなくつらいから。







他人には、もっと自分をわかってほしいって言うのに、

自分と同じ、吃音をもった人の気持ちとかをわかろうとしないで、無意識にコミュニケーションを避ける自分。




醜すぎませんかって思うわけです。




だから、障がい者の支援をしている障がい者の方を、ぼくはほんとに尊敬しているんです。


吃音の方々の就労支援を行っている団体の、吃音をもっているけど同じことで悩む人の助けになりたいっている志をもって実際に行動されてる人と何度かお会いする機会があるんですが、
ほんとにその人達のことを尊敬しているんです。






この感情の処理の仕方、誰か教えてください。


どもる自分を本当に認めてあげることができなければ、その先へは進めない気がします。

 

 

 

 

 

あ、この記事も、吃音の自分わかってほしい!って想いで書いてるんでしょうかね。

むーん。